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::のんべりもじもじ
なんでで5題

01 なんで一緒にいてくれなかったの?
02 なんで笑顔になれるの?
03 なんで、嘘をつくの?
04 なんで泣いてくれないんだ?
05 なんで愛してくれないの?


02 なんで笑顔になれるの?



 「誰にでも平等に訪れるものは二つある。それは死と、税金の支払いさ」

 それは、授業の合間、先生が独自に録画し見せてくれたドキュメント番組で言われていた台詞だった。
自分とは違う国の男性が、淡々と語っていた気がする。
内容的にはそそられるものがない番組だったけれども、それだけは何故か今でも覚えていた。

そして、あのとき。

自分は「死に際に、あんなことを軽い調子で言えたら格好良いな」と思っていたのも覚えている。

×××

 最近、病気をテーマに書かれた小説や物語が流行している。
何処の本屋や映画館へ行っても、それがモチーフになっている作品はひとつはあるのだ。

正直、自分は好きではなかった。

お涙頂戴のその話に共感できるし、実体験を元に書かれたドキュメント性には感服する。実際それらを見て、涙を流したのも記憶に新しい。
だがそう思うのは―
人情という名の「同情」からで、実際自分の身にふりかかるなぞ思ってもないからだと、最近になってようやく分かった。

好きになれなかった。

『大切な人の余命が半年と知ったとき、あなたはどうしますか?』

売り文句と呼べるキャッチコピーに、怒りと哀しみを生ませるのは日常茶飯事になっている。



「週末は出かけてくるよ」
「何処へ行くの?」
「大学時代の友人に会いに行くんだ。ちょっと遠出になるけど、心配はいらないよ」
「そう、気をつけてね」

 逝き急ぐように毎日を忙しなく過ごすあの人を見て、実感する。
周りには決して見せようとはしない哀しみと悔しさを持って、笑顔で過ごしているあの人は、『いつか』の予定を毎日のように話すのだ。
全てを知っている自分にしてみると、それらがいたたまれない。
けれどそう思うのは、やはり「可哀想」と思う「同情」からなんだと思った。
 自分はやはり、自分本位の人間でしかない。
あの人の笑顔を見る度、そう痛感するのだ。

「…あ、」
「何?」
「楽しんできてね、父さん」

自分も同じ境遇になったら、この人のように覚悟を決めることができるだろうか。



×××

 この国は戦争がない。幸い、クーデターのような国家に対する反乱も、今のところおこってはいない。
 この国は銃がない。正確に言えばそれは在るのだが、一般人が手にすることは日常生活を暮らす上では必要とされていない。
 この国は死に対する意識がそれほど強くない。だから人々は訳もなく傷つけあったり、平然とした顔で「死」という単語を口にすることができる。
 一歩国の外へ出てみると、それらの常識は一挙に覆されることとなる。
「死ね」「殺す」という単語を1回でも口にすれば、裁判沙汰になりかねない。

それでも、この国は「死」をそれほど重く受け止めていない。

 なぜなら。
どんなに大切な人を亡くしても、「誰にでも平等に訪れるものは二つある。それは死と、税金の支払いさ」という言葉の真意を受け止めず、「死に際に、あんなことを軽い調子で言えたら格好良いな」と思うぐらいであるからだ。





   「思い返せば、恐ろしいことを口走っていたな。私は…」
(反省はしても、後悔をするような人生は送るな)




半分実話。
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